マグロの書籍、漁についてPart1
- マグログ
マグロ漁について色々とご紹介!
法人様のパーティーや、結婚式、集客イベント等で北海道や沖縄までお客様のご要望がある場所へ出張し、屋内・屋外問わずマグロ解体ショーを実施しております鮪達人。”幸せを呼ぶ魚”と呼ばれておりますマグロはお祝い事には最適のお魚です。又、マグロ解体ショーは主役のマグロが居てこそ成立するイベントです。今回は相棒と呼ぶべきマグロの事をもっと深く知って頂くべく、マグロのお話を。
マグロ漁の歴史
日本におけるマグロ漁やマグロにかかわる歴史は古く、八世紀の初頭にまとめられたとされる【古事記】(わが国で最も古い歴史書)の中にもマグロのことがみえます。
古代には「歌垣」といって、男と女や男同士あるいは老人と若者などが、互いに歌を掛けあい(詠みかわし)舞踏などをして楽しみ、若い男女の場合は、一種の求婚方式にもなっていたとされています。
【古事記】の中には、多くの「歌垣」が記されています。その中に
大魚よし<大きな魚よ>鮪衝く海女よ(シビ突く海人よ)
其があれば うわこほしけむ 鮪衝く鮪
という歌があります。この歌謡の解釈はいろいろありますが、「しび」(シビ)は大きなマグロの代名詞なようなものである。
また、この歌の作者は「志毘の臣」(人名)だとも言われています。
この「シビ」という言葉が、時代と共に「マグロ」に変わってきたいきさつについて
江戸時代の初期にまとめられた「江戸風俗志(誌)」には
「鮪などは甚だ下品にて、町人も表店住のものは食することを恥ずる体也」とあって下魚とされてきていました。
ところが、江戸時代も中期以降になると、鮪(クロマグロ)は背色が黒い事から
「真黒・マグロ」と呼ばれるようになり、以後しだいに、クロマグロだけではなく、
マグロ類(キハダ・メバチ・ビンナガなど)を総称して「マグロ」という呼び名が一般的になったことから
「シビ」の名前はしだいになくなり、各地の方言として残り、伝えられてきたのです。
また、不吉な魚とされてきた「ジビ」も「マグロ」と呼ばれるようになり、しだいに消費量が増え始めたのでした。
マグロが古い時代に、「シビ」と呼ばれていたことはよく知られています。
その「シビ」という語彙には、魚類としての「シビ」と、その他に人名の「シビ」の二通りがあります。
まず、その二通りある「シビ」の表記からみていきましょう。
マグロにかかわる史的背景をひもといてみると、わが国で最も古い八世紀はじめにまとめられた「古事記」の中に、
「シビ」に関する記載があることは上述した通りです。
「古事記」に書かれている「シビ」は「志毘」と表記されています。
その内容をみると、「古事記」(下巻)に人名としての「志毘」は「志毘臣」の歌として、
意布哀余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿禮姿 宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘
とうたわれた歌があります。いかに大意を記すと
大魚よし 鮪突く海人よ 其があれば 心こほしけむ 鮪突く鮪
(注:大魚は鮪の枕詞。よしは接尾語。鮪を鉾でついて獲ろうとしている海人よ
<この鮪は「大魚」の「女」で海人は志毘臣を指す>その大魚の鮪が離れていったら<阿禮は離れ去る意>心に恋しく思うことであろう
鮪<大魚>をついて獲ろうとする鮪<志毘臣>)
このように歌われた中には、人名としての「志毘」と、魚名としての「志毘」が混在している事を読み取ることが出来ます。
また、「風土記」に記されているマグロはすべて「志毗」または「志毗漁」の文字があてられており、
「古事記」にみえる「志毘」の表記はありません。
しkし、すべてといっても現伝する五カ国の風土記のうちマグロのことが記されているのは
「出雲國風土記」だけです。また、「志毗」には前述したように、二通りあり、
人名にかからわるものと、魚名にかかわるものがみられる。
人名にかかわるものは、つぎのようになります。
舎人の郷(注:伯太川下流西方、飯梨川との間の地域。安来市の月坂・赤埼・沢村・吉岡・野方・折坂の地にあたる。)
郡家の正東升大里なり。志貴島の宮(注意:欽明天皇。第二九代の天皇)に御宇しめしし天皇の御世、倉の舎人君等が祖、日置臣志毗
(注:姓氏録に高麗人伊利須使主の子孫に日置造・日置倉人が見える。同族であろう。日置はヒキ・ヘキとも訓まれている。)
大舎人供へ奉りき。(注:天皇・皇族の側近にあって宿直雑用にあたる職の名、またその人。大舎人と内舎人の別がある。)
即ち是は志毗が居める所なり。故、舎人といふ。即ち正倉あり、とあります。
続きまして、マグロはどう漁獲されているのでしょうか?一本釣りはテレビでも取り上げられることがありますよね。
実はマグロは一本釣りがメインではないのです。一本釣りだと数が取れない問題があります。やはり安いマグロは安く穫るため、いろいろな漁獲法で穫られています。
マグロの漁獲法は主に4つあります。それは一本釣り、定置網、巻網、延縄の4つです。
それぞれの特徴をお伝えします。
一本釣り
大間のマグロに代表とされるマグロ漁法です。
イカやブリの幼魚などの生餌を使用したり、大間の漁師秘伝の死んだサンマやトビウオなどに細工をして生きているかのように見せる仕掛や疑似餌を海に投げ入れ、マグロのヒットを待ちます。
マグロかかったら、基本的には手で引いて巻き上げます。(最近は巻揚機を使用している人が多いです。)船の近くまで来たら、電気ショッカーというものを使い、マグロを一時的に感電、失神させてることで容易に水揚ができるようになり、マグロが一番暴れる船際で取り逃がすことは少なくなっています。そして、最後にモリをマグロの急所であるエラ付近に打ちとどめを刺して勝負は終わります。その後ウインチで船上に上げ、鮮度保持のために血抜き・生〆作業・施氷をして港に戻ります。(以前は人力で船上にあげることな困難であったため船尾にくくりつけて帰港していました。)
定置網
定置網は、マグロが回遊するある一定の時期に網を仕掛ける方法です。「待ちの漁」とも呼ばれ、先人の知恵を受け継ぐ昔ながらの伝統的な漁でもあります。
陸から30分~1時間沖へ向かって潮の流れを読みながら縦網を張っていきます。網に入ったマグロは箱網へと入り、一度箱網に入ってしまうと出られなくなります。箱網を引き揚げて漁獲します。
日本に流通しているクロマグロ(本マグロ)の多くは、定置網で漁獲されています。定置網で漁をするメリットは、魚事体を大きく傷つけることなく一度に多くの数を捕ることができる点です。
巻網
巻き網は遠洋漁業の一つです。
まず、魚群探知機を用いてマグロの群れを見つけます。群れを見つけたら小型のボートを高速で走らせて網でマグロの群れを囲んでいきます。
巻き網は一度に大量のマグロを漁獲できるというメリットがありますが、デメリットもあります。
巻き網はマグロの群れを見つけると、群れ全体を網に巻き込んでしまうので、魚の表面に傷がついてしまうことが多いようです。そのため、巻き網で捕れたマグロの単価はあまりよくありません。
さらに幼魚までも巻き込んで水揚げされてしまうので、近年生態系への問題が懸念されている漁獲法になっています。
延縄
延縄漁はマグロ漁獲法の主流ともいえる方法です。120トン以上は遠洋、120トン未満は近海、10トン未満は小型・・・と船の大きさによって分類されます。このうち日本では70%以上が遠洋で行われています。
針に餌をつけたものを縄にたくさんつけ、海中に吊るしてマグロを捕ります。
約50m間隔で釣り針をつけた枝縄(えだなわ)が幹縄(みきなわ)に取り付けられます。幹縄は300m~350mで1鉢と数え、一回の操業で約500鉢投縄(とうなわ:船から海中に縄を下ろしていく作業)します。一度に投網される縄の長さは150km~200kmで、針の本数は2,500~3,000本です。
投縄が完了するのに約5時間、それからマグロがかかるまで約5時間待ち、約12時間かけて揚縄(あげなわ:縄を船に引き上げる作業)となります。
引き揚げられたマグロは、エラやヒレ・内臓などを取り血抜きを行い船内で急速冷凍され、漁港に着くまで冷凍庫に保管されます。
マグロの延縄漁は日本では江戸時代に千葉県房総半島で始められたのが最初と言われています。日本発祥の伝統漁法で、世界へと広まっていきました。
延縄は比較的狙った魚だけを釣り上げることができるので、巻き網に比べると生態系に与えるダメージが少ない漁獲法です。
マグロの延縄漁は、主に太平洋やインド洋で操業されています。一度漁へ出かけると1年以上は返ってくることができないハードな作業なため、乗組員には外国人の姿も見られます。
このように、マグロにも色々な歴史があります。いつもお世話になっております。マグロさん!